2011年4月22日(金)付


進入園児にプレゼント しろうま保育園歓迎会

 白馬村のしろうま保育園(太田昭子園長、園児154人)で20日、新入園児の歓迎会が行われた。新しい友だちを囲んで、年中・年長児が楽しい出し物やプレゼントを企画。楽しいひとときを過ごした。
 入園後半月が過ぎ、緊張して登園していた新入園児も少しずつ園の雰囲気に慣れてきたようすで、たくさんの笑顔が見られるようになった。
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4月の一覧
多発シーズン注意を 春の山火事予防パレード 大北
 空気が乾燥し、火災が発生しやすくなる季節を迎えて21日、大町市の大町合同庁舎で「大北地域春の山火事防止パレード」出発式が行われた。北安曇地方事務所や中信森林管理署、北アルプス広域消防、各市町村の広報車が、山林火災発生予防を呼びかける広報活動に出発した=写真。
ことしは建物火災も多く発生している。タバコの投げ捨てをしないことやたき火、あぜ焼きに注意することなどを呼びかける。5月10日からは白馬村、小谷村地域の啓発が始まり、啓発活動は5月いっぱいまで行われる。
南三陸町に支援物資 松川村北細野区 松くい虫対策交流縁で
 松川村北細野区(百瀬清区長)は18日、東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町に支援物資を届けた。住民同士の交流があった地域の壊滅的な被害を知り、支援に現地に赴いた。
同区ではこれまで、先進的な松くい虫対策を実践していた同町から技術を学ぼうと、区民が同町男性とメールなどを通じて情報を交換していた。「互いに訪問したい」と話していた矢先の地震発生。交流していた男性は行方が分からなくなり、その後遺体で発見されたという。
区民たちは物資や義援金の協力を広く呼び掛け、多くの生活用品や食料品が集まった。村内事業所からは村内産コシヒカリ600`が寄せられた。4dトラックに物資を積み込み、百瀬区長はじめ役員とドライバーの3人が現地に出発した。
支援活動に乗り出した北細野区(北細野区提供)
大町公園 「元気を」桜まつり 5月5日までぼんぼり点灯
 大町市内の花見の名所として親しまれている大町公園で開く「おおまち桜まつり」は5月5日まで、ぼんぼりを点灯し花見シーズンの公園を照らす。東日本大震災で自粛ムードが続く中、「元気を出そう」と開催を決めた。実行委員会(委員長=坂中正男大町商工会議所会頭)は20日、ぼんぼりの点灯式を開いた。
約20人の関係者が、花火の打ち上げに合わせてスイッチを点灯。約140個のぼんぼりにいっせいに明かりがともった。ことしは被災地にエールを送るものや、「大町も元気になろう」とのメッセージが込められた短冊も飾られた。
園内には約100本のソメイヨシノやオオヤマザクラが並ぶ。同日には一部が開花をはじめ、例年より1週間ほど遅めながら、春遅い大町にも桜の季節の訪れを知らせた。
当落線上僅差で競う 浮動票取り込みカギ 池田町議選
 池田町議会議員選挙(定数12)は24日、投票が行われ即日開票される。立候補した現職8氏と新人6氏の14陣営は終盤戦に向かい、票の上乗せを図ろうと遊説活動に奔走している。
 地元票や基礎票が固まっている候補は、安定した戦いぶりで当選圏内入りが確実視され、上位をうかがう。当落線上では、3〜4人が僅差で競っているとみられ、最後まで気が抜けない状況となっている。
投票率は昭和46年には95lだったものの、平成15年に79l、19年に73lと年々減少傾向にある。全国区型≠フ選挙活動を展開する候補にとって、有権者の関心を高め浮動票をいかに取り込むかが、当選へのカギとなりそうだ。
議員定数の削減や議会基本条例の制定といった議会改革や、任期が1年余りとなった勝山町政への評価などについて、各候補者の考えに注目が集まっている。
復興こころひとつに 天正寺でコンサート 大町市
大町市十日町の天正寺(市川秀乗住職)で19日夜、「『こころひとつに!』コンサートとちょっぴり法話の夕べ」が開かれた。東日本大震災復興を祈念し、一日も早い笑顔を取り戻そうと開催。市内外から150人以上が訪れ、マンドリンの演奏や歌声に聴き入った。
マンドリン奏者の折井清純さん、マンドリンアンサンブル「風の口笛」、2人ボーカルの「香格里拉(しゃんぐりら)」が出演し演奏。それぞれの自作曲や「さくら」などが演奏され、市川住職の法話が行われた。弦楽器の澄んだ音色が堂内に響き渡った。会場では募金として「浄財」も募った。
市川住職は「『辛(つら)い』という字は一本棒を足すと『幸せ』になる。今日もこうして大事な時間を一緒にいられることなど毎日忘れがちになる幸せを生きる力にして、震災の悲しさを出発にしてほしい」と話した。