2013年10月25日(金)付


   
 戦後間も無い昭和21年8月10日に「信濃大町弘報」として出発した本紙は、当初は物資も不足する中、ガリ版刷りで月3回刊、週刊と定期発行に取り組んだ。市立大町図書館には、「大糸タイムス」と改題された後の昭和27年元旦の第624号から現在までの保存版や実物紙面がそろっている。この時期には、題字に「信濃大町弘報改題」と記されているのがわかる。当時は隔日刊で、同年4月の675号から日刊化した。
 1000号を迎えたのは昭和28年5月14日。昭和29年7月1日の1342号では、昭和の大合併で大町市が誕生したのに合わせて、創刊9年目にして紙面を拡大。新聞判(B3)2n建てとなった。紙面には新市誕生を祝う文字が並ぶ。
 地域の「いま」伝え続けて 大糸タイムス紙齢2万号迎え


 本紙・大糸タイムスは10月25日付で、紙齢2万号を数えた。大北唯一の地域日刊紙として日々の地域の情報を伝え続けてきた本紙が節目を迎えた。過去の新聞をひもとくと、地域に寄り添う情報紙として、時代に合わせ変化を重ねてきたことが紙面から感じ取れる。
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10月の一覧
 平成14年11月6日の6596号からは、新聞製作を完全デジタル化。市町村ごとの地域色を濃く出そうと、1面を大町面、6面を北安曇・安曇野面とする「両1面」の体裁をとり、カラー写真をふんだんに取り入れた。
 平成22年9月1日の19019号からは、現在のより手に取りやすい半分のサイズのタブロイド判に移行。1、2面の差し替えを行い、地域ごとに大町版・白馬小谷版の2種類を届けている。


 時代の変遷に合わせて姿を変え、地域の「いま」を伝えてきた大糸タイムス。これからもより地域に親しまれる新聞を目指して、紙面充実を重ねていきます。
                                                  大糸タイムス社

 黒部ダム建設直後の昭和38年秋には5000号を達成。昭和46年7月20日には、ブランケットサイズのA2判4n建てに。小谷村の小土山地すべり災害などを大きく報じている。昭和40年代終盤には、オイルショックの影響でタブロイド判で発行した時代もあった。
 1万号に達したのは昭和55年5月23日号。記念特集には多くの広告が寄せられ、地域での親しみを感じさせる。近くには大町ダムの定礎式や、旧美麻村と米国メンドシーノとの姉妹都市調印などの記事がある。
 1万5000号は平成9年6月5日。半世紀の大きな節目を超えた発刊51年目のこと。前後には、長野五輪開催が近付き前売り券に長蛇の列などの記事が目に入り、期待感がうかがえる。